チャリティーイベントに参加して思うこと

高校時代の恩師に呼び出され,止むなしという感じで名古屋まで帰ってきて,チャリティ・コンサートの裏方の仕事をした.久々に「俺なにやってるんだろう」感を味わったと思う.今にしてみれば高校の部活,毎回そんな感じで,とはいえいろんな人と知り合えたし,それなりに感謝されるのでまあ悪い気はせず続けていたように思う.

やった仕事は主に受け付け,誘導,撤収など.最後にはチェンバロをばらして運んだりした.すごい装飾で,楽器というよりは芸術品っぽい感じだった.カメラ持ってきてなかったので,写真無いのが残念.

例の東北の地震以降,各地でチャリティの企画など催されているのを聞く.おそらくイベントの数としては多少増えただけで,以前から有ったものにチャリティと冠したものが多いのではないかなと推測する.イベント,そう簡単に実施できるものではないし,ある程度経験が必要だとおもうから,そういう意味で新規でチャリティ,というのは少ないのでは?

それにしても,そのようなチャリティイベントに参加すると,割と高確率で「今回の地震でたくさんの方々が亡くなり,また家財を失い不自由な暮らしを……」「少しでも力になりたくて」といったようなことが主催者からの挨拶として言われると思う.それを聞くたびに僕は,正直に言うと吐き気がする.ゲェって感じ.

確かに,チャリティってなると,時勢も有ってイベントのことが伝わりやすいと言うのが有る.だから僕はそのことを知って,会場に足を向ける.

でもそれはチャリティだから行ったということではない.それはあくまできっかけってだけで,そのイベント,セミナーなりライブなりにお金を払って参加する価値があると思ったから行く.だから楽しみたいと思っているし,そこへ暗い話を持ち出されてもテンション下がるだけだし,最低って感じだ.

チャリティっぽさ出したいなら,受付に義援金の募金箱置くぐらいでいいのでは,と思う.あとは教材やCDの売り場に,「利益は寄付されます」って看板つけるとか.

チャリティイベントってそれ自体はすごくいいアイデアで,うまく機能すれば全員が特をする仕組みだと思うのだけれど,あまり深く考えずに,ただ助けたい,良いことしたい,という発想で行うのよくないと思う.それって誰も得しない.これからチャリティの企画たてようと思う人にはチャリティの性質や可能性みたいなの,一度考えてからやってほしい,という感じがする.いらぬお世話だろうな.