一生楽しくなり続けるんだと思う
別にこれまでが楽しくなかったということはなくて、過去も楽しく過ごしていたのだけれど、高校の頃と比べると大学の頃の方が楽しかったし、大学の頃と比べたら社会人になってからの方が楽しいし、社会人になってからもどんどん楽しくなっている。
知ってることや経験が増えることでそれまで気がつかなかったことに気がついている、みたいなことがそういう感覚につながっている気がする。
新しいことを知ったり体験したりする機会はこれから先もずっとあるはずで、これが正しければ一生楽しくなり続けるんだと思う。
一生楽しくなり続けるっていうのは結構魅力的な希望だと思う。
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先々週ぐらいにちょっと長めの距離を歩いたら一発で足が筋肉痛になってしまい、運動不足を痛感した。ちょっと長めとは概ね1万5千歩ぐらい*1。
在宅勤務になった。上に書いた出来事もあり、ほっとくと運動不足がやばいなと思ったので毎朝出勤ということで15分ほど散歩することにした。これは id:a-know さんの真似。
仕事が終わった時も元気があったら散歩したり、自転車に乗ったりしている。
朝の散歩、意外と気分が良くて、休みの日もすることにした。先週末は一勝一敗で、土曜だけ成功した。
前に休日がうまく使えてなくて困ってるみたいなことを書いたけど、散歩するだけでなんとなくいい気分になるし、その後もやる気が出るのでお得だなって思った。
引き続きなるべく頑張りたい。近所にでかい川があるので、気が向いたり気候が良ければ長めの散歩も良さそう。
天井照明にいくつかモードがあるので、仕事中は蛍光色の直接照明、仕事が終わったら間接照明モードで暖色にしている。
やはり蛍光色は労働の色という気がする。間接照明モードはリラックス感があって助かるんだけど、基本的に眠くなってあらゆるやる気がなくなるのが困るなって思う。
なんか人生の話を実家の人としていたら縁談ってやつがきた。実家の近所の人らしいけど、僕の実家は今の家からそれなりに遠いし、このご時世で気軽に会いに行くって感じでもないのでお断りした。お断りばかりになってしまい、お前は本当にやる気があるのか、みたいになってしまいそう。
友達*2が「結婚がしたいんじゃなくて必要なのは『楽しい老人ホーム』的な互助の仕組み」みたいなことを言っていて、まあそれは一理あるよな、そもそもなんで結婚したいんだっけ、いや結婚って目的持ってするのもなのか?? みたいな気持ちになった。特に答えは出せていない。
別の友達は「何か事故みたいなことが起きた時、結婚していると集中治療室に入れるぞ」みたいなことを言っていたのを思い出し、集中治療室にまで会いに行きたい相手がいたら結婚するのも良さそうだな、みたいな気持ちにはなった。
*1:その日に家で日本酒をがぶがぶ飲んでいたというのも影響していそう
*2:https://twitter.com/moznion/status/1430871774221066241?s=20
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テレビに録画用のHDDをつけている。長時間駆動に対応したモデルということもあり冷却用ファンが付いてるのだけれど、小さなファンで頑張ってるのでいかんせんうるさい。
最初は結構イライラしたけれど、最近は慣れてきて気にならなくなっていた。が、気にならなくなっても常にノイズが耳に入っているのはストレスになっているかもしれない。なんか安いやつに買い換えようかな。いっそ録画やめるというのもいいかもしれないけど。
そこまで熱心に録画機能必要としてないのにうるさすぎる!!! という気持ちになったので新しいHDDを買った。水曜日届くらしい。
ということで置き換えたところやっぱりめちゃくちゃ静かになってよかった。よかったです。
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- 休日を有効に使えてない気がする
- いまだかつて有効に使えている状態はあったか
- 大学の頃
- 休日とか平日とかあんまり関係なかった気がする
- インターンの時は週末よくお出かけしていた
- せっかく東京いるし、みたいな感じ
- 毎週末遊んでて熱出したりしたのでやり過ぎは良くない
- せっかく東京いるし、みたいな感じ
- 社会人になった頃
- なんか本読んだりテーマ見つけてサービス作ってみたりしてた気がする
- 家にいると何もできないので会社に行ったり近所のドトールで作業したりしてた
- 歩いて1分で喫茶店あるの便利だった
- (家の方が環境は整っているので)調子に乗ってきたら家に帰って再開するなども容易だった
- 果たして毎週末そんなにいろいろやっていたかというと???
- 漫画読んで寝てるだけの週末が半分以上あったのでは???
- 休日出勤して仕事してる日が全体の1/10ぐらいはある気がすんな
- それはそれで無駄になってない感じがするのでOK
- 要は「あ〜今日何もできずに終わった」みたいな感じをなくしたいって事?
- 休日出勤して仕事してる日が全体の1/10ぐらいはある気がすんな
- 漫画読んで寝てるだけの週末が半分以上あったのでは???
- 歩いて1分で喫茶店あるの便利だった
- あんまりテレビ見たりゲームしたりはしてなかった
- ゲームは Splatoon ぐらいしかやりたいゲームがなくて、それも結構疲れるから長続きしなかった
- テレビは画面が小さいのと、置き場所が悪くてあんま見れる感じじゃなかった
- 物理的な意味でのテレビは見てなかったけど録画した番組は見てたわ
- 録画用のデッキやテレビの録画機能はなく、PT2が元気いっぱい仕事していた時代
- 物理的な意味でのテレビは見てなかったけど録画した番組は見てたわ
- 京都時代
- 旅行ブームがきてて一泊二日とかでもシュッと出かけたりしてた
- あるいは近所を探検したり
- 引越して環境が変わると1年ぐらい元気な気がする
- 引っ越し続ける??
- 引越して環境が変わると1年ぐらい元気な気がする
- 勉強会とかイベントの準備であくせくやったりしてた気もする
- 家にゆとりがあったので(?) 様々な余裕があった気がする
- この頃テレビを買い換えたのと、PS4 をゲットしたのでゲームやったりテレビ見たりする時間が増えた気がする
- 全体を通して家で作業する時
- 大学の頃
- いまだかつて有効に使えている状態はあったか
書き出してみて何となくポイントが見えてきたけど
- そもそもこれまでだって休日を有意義に使えてない
- 家から出てスタート切って帰って続きをやる、が一番パフォーマンス出そう
- そもそも休日にまとめてやろうと先送りしてるものが多過ぎたりしない?
- 平日を有効活用する方向性を模索してみる
- 家でテレビ見たりゲームしてる時間が長くなってるのは意外とそんなに変わってなさそう?
- 昔はアニメが多かったが、最近はニュースとかDAZNでF1見たりとかが増えた。総量は変わってないのではないか
- 部屋のレイアウト的にデスクへのアクセスが悪くなったのはネガティブなポイントって気がする
- 模様替えやり直す?
- 家でテレビ見たりゲームしてる時間が長くなってるのは意外とそんなに変わってなさそう?
- 平日を有効活用する方向性を模索してみる
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被害を受けた人が加害者を見て嫌な気持ちになるということは確かにあると思う。実際のところは当事者にしかわからないことで、第三者としてできることは可能性に対する配慮ということになってくるんだけれど、突き詰めると何もできなくなる気がする。
過去の行為そのものを擁護する事は無いし、それはそれとして扱われるべきと思う。つまり現在と過去は区別して語られるべきという事なのだけれど、ではいつまでが過去でいつからが現在なのかという問題が出てくる。禊はいつなのか。
ホロコーストをネタにするというのはかなりシビアだと思うけれど、コンテクスト無しにそこだけ引っ張り上げるのはフェアじゃない気がする。その切り取り方は話を大袈裟に盛り上げようとしていないか。
では大袈裟でなければ許容されるのか、と聞かれるとそれはやはり厳しい気はする。
記録されてなければ見逃されたのか?
「過去を現在の価値観で”評価する”ことはあっても”裁く”べきではない」というのは歴史に触れる者の共通認識だと思うけど、歴史的なレベルでの価値観の変化が、1世代の中で何度も起こりうるほどに早くなった現代において、我々が「生涯に渡って」無謬である事の難しさを感じている。
— 三崎律日@「奇書の世界史」発売中 (@i_kaseki) 2021年7月22日