他人の行動から,その人がどう思っているかを察しようとするの,基本的に愚かな行為だと思っていて,そんなものは直接ないしは間接的に聞くしかないと思う.本人がどう思っているかを直接ないしは間接的に聞くまでは,勝手に想像して決めつけるのはもったいないと思う.ある出来事が実際に発生するまでには認識できない潜在的な過程があって,結果が見せるのはそのごく一部であって,その後ろで静かに横たわっている全体像を理解するには不十分すぎる.

にもかかわらず,その一部から勝手に推察して,理解した気分になり,怒ったり,悲しんだり笑ったり,喜んだりするのは愚かしい.

けれど現実としては,身の回りで起きた全ての出来事について,本人から直接話をきくみたいなことをやっていられるかと言われたらそんなのは困難だし,さらに困難なのは,現実に適用したとたんに本人というのが関係者全員となる.一人でも大変なのにそれが複数になるのだから,こうなってはいよいよ無理だ.

ということなので,まず全体像を理解するみたいなのはさっさと諦めるべきだ.それで僕らがとれる選択肢は二つで,適当に推察して理解した気分になるか,わからない問題はわからないという状態で放置するか,この二択だ.

どちらでもいいのだけれど,前者については必ず「適当に」推察するべきで,この適当というのは,テキトーの方だけれど,つまり考え過ぎちゃダメで,かつ理解した「気分になる」ことで,つまり「理解した」と思ってしまってはだめで,「理解した気分になってる」ということに対して自覚的じゃないと人生は困難だ.