僕は春から大学院に進学してまだ学生生活エクストラステージでのんびりやっているわけだけれど,多くの小中学校からの友人は春から社会人としての活動を始めたようである.

なかにはにいわゆる意識高い感じになっている子もいて,新たな環境で得た刺激を嬉しそうに共有している.当然,飲み会の写真は忘れない.

そういうの中に,時々見ていて笑ってしまいたくなるものがある.何というか,だいたいは中身がないやつだ.なぜそう思ったのか,なぜそう考えるのか,そういう人間的なプロセスが綺麗に削ぎ落とされて,今日も共有されて行く.「会社の先輩が言ってたことやっとわかった! 早速実践! 人とのつながりってほんとに大切だなって実感!」

ああ,なんて美しいんだろう.だいたいにおいて人間的なものって生臭くて美しくない.それに引き換え,彼らの投稿の美しさだよ.とっても人工的無生物的.あなたが書かなくなって,誰でも書けるよって感じ,でもそれじゃああなたの価値は何?

ある意味これは必然だと思っていて,思考の過程なんて共有されたって鬱陶しいのだ.ブログみたいなプル式のメディアだから安心して書ける,というのがある.例えば,今まさに僕が書いているような文章が,プッシュ式のFacebookホームにが流れてきたら,と思うとぞっとする.

でも,そういう人間臭いところこそ本当に知りたいって思っている.何を考えてどう行動して何を得たのか.その人が物事をどいうふうに見ているのか.

そこには代替できない価値がある.

きっとこれからもFacebookには美しい投稿がされ続けると思うし,Facebookの世界ではそれが正しいことなんだと思う.でも僕は人の目を気にせず自由に思ったことを書ける場としてブログを書き続けたいと思うし,色んな人のブログを読みたいって思います.