水戸市が去年の震災を受けて,非常用の備蓄品を補完している倉庫の場所を分散させた,みたいな話をきいたのだけれど,分散させるという事は管理コストが上がるという事だから,財政を逼迫して,10年, 20年後には前のような集中保管に戻ってしまうんじゃ無いかなと危惧している.

たとえばプログラムだったら,ここはこういう事情があるってコメントを書いておけば,あとからみた人はそれを読んで,「なるほど」となる.行政とかの場合は,メインロジックの条例とか法律は残るけれど,なぜそれが可決されたのか,当時の人がなにを考えたのか,みたいな,プログラムにおけるコメントみたいなものが無い気がする.

当時を経験した人がいなくなってしまうと,なぜ,の部分がわからなくなって,冒頭に書いたようなことが起こるのじゃ無いかと考えた.なにを考えて,という部分は実はとても大事なのに,見落とされがちな気がしていて,手続き的な内容を伝える事も大切だけれど,時代の空気感とか,そういうものもうまく伝える事を考えないと行けないと思う.